ヒストリカルフィギュア展作家紹介その「4」
50日の長い期間の展示会ですが、残すは後20日、作家紹介のペースを上げねばなりません。
Konrad氏に続く四人目の作家はKazufumi氏です。
ちなみにこの順番、入り口から順路順なのです。
さて、氏について一ページ程度のブログで紹介するのは非常に難しいのですが、強いて一言で言えば・・
「日本で数少ないの世界標準感覚を持つモデラー」と言うことにつきるでしょう。
ご存じの通り、日本の模型界はある種偏向したところがあります、ことスケールモデルに関しては、1939年から1945年のたった6年間の間の兵器を指向しそれを中心として発展した「奇形」であるとさえ言われています。
商品開発と販売に関しては常に世界をリードしているのですが、上質な物が安く手に入る環境にあるためか、その良すぎる環境が日本のモデラーをある種ガラパゴス化してしまったと言えるでしょう。
又、海外との交流の少なさもガラパゴス化を助長する事になりました、お隣の韓国はキャラクターモデルなどでは日本の影響をうけつつも、コンテストなどでは積極的に欧米に遠征、ご存じのユーロミリテールなどでは上位入賞者を排出しています。
かく言う日本のモデラーはほとんど海外に遠征に行くでもなく、又海外のモデラーを交えてのイベントもなかったりと、ほとんど自己完結した状態に陥っていると言っても良いでしょう。
現在、日本にもわれらが吉岡和哉氏等の世界レベルのトップモデラーも増えては来ましたが、それでも全体のレベルとしてはまだお寒いところも多く、そして指示されるカテゴリーも偏狭しており、しかも社会的な地位も欧米に比べて決して高い物ではありません。
そんな閉鎖的な日本の状態に風穴をあけるモデラーが、今回ご紹介するKazufumi氏なんです。
今回も長いマクラになりましたが、氏の話を始めましょう。
始めて出会ったのは確か6年前、氏の主催するブログでだったと思います。
最初は「日本語の上手な外国のモデラー」もしくは「帰国子女など、海外文化で感性を作ったモデラー」と思っていました。
なぜなら、氏の作風もさることながら、氏の文章は日本語の情緒的な部分を排除した、非常にセオリマティックで、「英語的」なんです、起承転結がはっきりしていてぶれがない、ある種意図的に日本語の情緒的な物を排除した様にも感じました。
この第一印象は、的中しては居ませんでしたが、あまり遠いものでもありませんでした。
氏と深くつきあうにつれ、その疑問が一枚ずつはがれていきました。
氏の住まいは沖縄県、そして英語を生業としているモデラーさんだったのです。
沖縄は地理的には東アジアのハブ的立地にあります、その環境でグローバルな感性を育て、そして第二母国語として英語に通じている氏は、さしずめグローバルなモデラーとして二つのパスポートを持っていると言っても良いでしょう。
氏の登場のおかげで、それまでは鎖国時代の出島程度の情報しか入らなかった海外のモデラーの情報が手に取るように入るようになり、地球が少し小さくなった様な気がしたのはすこっつだけでは無いと思います。
一回目のモデラーズエキスポに世界のトップモデラーである韓国のダグラス・リー氏とヨン・ギヨル氏をお招きできたのも氏の力添えがあったからこそです。
出会いとは本当におもしろい物としみじみ感じるすこっつです♪
さて、氏の作品は、7人の作家の中で一番欧米的な作風で暗色を効果的に使いコントラストの幅が非常に広いのが特徴です。
塗料は「ジョソーニャ」トールペインティング用の水性アクリルで、比較的扱いにくい(すこっつ的)その塗料で他の作家の油彩と遜色のないなめらかなグラデーションは是非生でごらん頂きたいものです。
今回の展示はフィギュアの胸像モデル、いわゆる「バストモデル」が多いのですが、1/35のAFVのジオラマなど幅広いジャンルを作成しています。
活動の範囲も非常にグローバルかつ精力的です。
日本で唯一のヒストリカルフィギュアサイト「ジャパンミリテールフォーラム」の主催者であるのもマニアの間ではよく知られています。
もちろん海外のモデラーの評価も高く、世界最高峰のスケールモデルコンテスト、「ユーロミリテール」での入賞はもちろんのこと、日本や海外の雑誌のライターとしても活躍中です。
海外のスケールモデルのレベルとその深さを知りたければ、浜松ジオラマファクトリーでKazufumi氏の生の作品をご覧下さい、ひと目でそれが実感出来ることをお約束します。
さて、順路で言いますとお次はすこっつめなんですが、それはスルーして、海外のコンテストに挑む若い侍「豊田亘」氏をご紹介いたします〜♪
Konrad氏に続く四人目の作家はKazufumi氏です。
ちなみにこの順番、入り口から順路順なのです。
さて、氏について一ページ程度のブログで紹介するのは非常に難しいのですが、強いて一言で言えば・・
「日本で数少ないの世界標準感覚を持つモデラー」と言うことにつきるでしょう。
ご存じの通り、日本の模型界はある種偏向したところがあります、ことスケールモデルに関しては、1939年から1945年のたった6年間の間の兵器を指向しそれを中心として発展した「奇形」であるとさえ言われています。
商品開発と販売に関しては常に世界をリードしているのですが、上質な物が安く手に入る環境にあるためか、その良すぎる環境が日本のモデラーをある種ガラパゴス化してしまったと言えるでしょう。
又、海外との交流の少なさもガラパゴス化を助長する事になりました、お隣の韓国はキャラクターモデルなどでは日本の影響をうけつつも、コンテストなどでは積極的に欧米に遠征、ご存じのユーロミリテールなどでは上位入賞者を排出しています。
かく言う日本のモデラーはほとんど海外に遠征に行くでもなく、又海外のモデラーを交えてのイベントもなかったりと、ほとんど自己完結した状態に陥っていると言っても良いでしょう。
現在、日本にもわれらが吉岡和哉氏等の世界レベルのトップモデラーも増えては来ましたが、それでも全体のレベルとしてはまだお寒いところも多く、そして指示されるカテゴリーも偏狭しており、しかも社会的な地位も欧米に比べて決して高い物ではありません。
そんな閉鎖的な日本の状態に風穴をあけるモデラーが、今回ご紹介するKazufumi氏なんです。
今回も長いマクラになりましたが、氏の話を始めましょう。
始めて出会ったのは確か6年前、氏の主催するブログでだったと思います。
最初は「日本語の上手な外国のモデラー」もしくは「帰国子女など、海外文化で感性を作ったモデラー」と思っていました。
なぜなら、氏の作風もさることながら、氏の文章は日本語の情緒的な部分を排除した、非常にセオリマティックで、「英語的」なんです、起承転結がはっきりしていてぶれがない、ある種意図的に日本語の情緒的な物を排除した様にも感じました。
この第一印象は、的中しては居ませんでしたが、あまり遠いものでもありませんでした。
氏と深くつきあうにつれ、その疑問が一枚ずつはがれていきました。
氏の住まいは沖縄県、そして英語を生業としているモデラーさんだったのです。
沖縄は地理的には東アジアのハブ的立地にあります、その環境でグローバルな感性を育て、そして第二母国語として英語に通じている氏は、さしずめグローバルなモデラーとして二つのパスポートを持っていると言っても良いでしょう。
氏の登場のおかげで、それまでは鎖国時代の出島程度の情報しか入らなかった海外のモデラーの情報が手に取るように入るようになり、地球が少し小さくなった様な気がしたのはすこっつだけでは無いと思います。
一回目のモデラーズエキスポに世界のトップモデラーである韓国のダグラス・リー氏とヨン・ギヨル氏をお招きできたのも氏の力添えがあったからこそです。
出会いとは本当におもしろい物としみじみ感じるすこっつです♪
さて、氏の作品は、7人の作家の中で一番欧米的な作風で暗色を効果的に使いコントラストの幅が非常に広いのが特徴です。
塗料は「ジョソーニャ」トールペインティング用の水性アクリルで、比較的扱いにくい(すこっつ的)その塗料で他の作家の油彩と遜色のないなめらかなグラデーションは是非生でごらん頂きたいものです。
今回の展示はフィギュアの胸像モデル、いわゆる「バストモデル」が多いのですが、1/35のAFVのジオラマなど幅広いジャンルを作成しています。
活動の範囲も非常にグローバルかつ精力的です。
日本で唯一のヒストリカルフィギュアサイト「ジャパンミリテールフォーラム」の主催者であるのもマニアの間ではよく知られています。
もちろん海外のモデラーの評価も高く、世界最高峰のスケールモデルコンテスト、「ユーロミリテール」での入賞はもちろんのこと、日本や海外の雑誌のライターとしても活躍中です。
海外のスケールモデルのレベルとその深さを知りたければ、浜松ジオラマファクトリーでKazufumi氏の生の作品をご覧下さい、ひと目でそれが実感出来ることをお約束します。
さて、順路で言いますとお次はすこっつめなんですが、それはスルーして、海外のコンテストに挑む若い侍「豊田亘」氏をご紹介いたします〜♪